ニコラ・バレ ストーリー
|創立者 ニコラ・バレ ストーリー/(1)(2)|ニコラ・バレ神父 列福|
1662年、ソットヴィルでの宣教の間に(後にはルアンでも)、ニコラ・バレは、自分の関心を何人かの若い男女に伝えた。彼は、うち捨てられた子どもと若者への奉仕に勇気と無私の精神をもって自分を捧げるようにと、彼らを招いた。彼の考えでは、それは根本において、貧困の結果の一側面である人間的・霊的な養成の欠如との戦いだった。悲惨な生活と不正義によってどれほど歪められた人間性に直面しても、ニコラ・バレは、人々に、人間は神の似姿として創られたのだということを思い起こさせることをやめなかった。 子どもにはほとんど注意が払われなかった時代にあって、この観想的な使徒は、神はイエスにおいて単に人間となったばかりではなく、幼子にまでなられたのだという事実に深く打たれた。神が幼子となられたのは、謙遜な人々や最も小さな人々、最も貧しい人々に近づいて、彼らに神の愛を確信させるためだったのである。
1666年に、彼は、すでに何年か一般庶民の教育(無月謝学校や公教要理、ワークショップ、読み書き教育、女性のキリスト教教育など)に献身していた数名の若い女性たちに提案をした。互いに一致して一緒に暮らし、誓願なしで福音のために人生を賭ける信徒の共同体を作ることを。彼はそれをいつもの彼の指導法に従って行った。すなわち、事に伴う難しさを軽視せず、長い間祈って、そのインスピレーションが聖霊から来るものかどうかを確かめた。バレ神父が日々使徒的生活に向けて養成していた女性達は、心の底から、躊躇なく答えた。「はい、それは私たちの望みです。私たちは、全く無私無欲で神の摂理に自分を委ねます。」
この共同体は、ニコラ・バレの生涯を通して、成長と発展を続けた。彼はそこに、熱誠、貧しい人々への愛、無私無欲、謙遜、単純さが燃え立つように励まし続けた。彼はこの共同体のために、自分の修道会であるミニム会からさえ多くの誤解と反対を受けることになるのだが、ランスのニコラ・ロランによる幼きイエス会やリジューの摂理会のような新しいグループもまた、その共同体から生まれていく。ニコラ・バレの仕事、特にそれを動かす精神は、困難と反対という暗闇の中のかがり火となっていった。
「愛徳学校の会は教会と同様である。それは迫害と反対のただ中で前進する。会を破壊するように見えるものこそ、本会を承認し、一層強めるものである。会の将来は神の御手に任せ、完全な信頼をもって全てを神に委ねるべきである。」
1675年から1686年に亡くなるまでの間、ニコラ・バレはパリに住み、それまでと同じ宣教を続けた。ルアン同様、「小さな学校」の誕生を支え、極めて有能な霊的指導者として特に内的な闇を経験している人々のために活動し、福音の熱烈な説教者でもあり続けた。
ジャン・バチスト・ド・ラ・サールは彼のもとに何度か相談に訪れた。ニコラは、若い男の教師たちが学校で経験している困難を知っていた。彼らは当時非常に軽蔑されていたのである。しかし、ニコラは、女教師たちの場合のようには、男の教師たちの共同体作りに成功していなかった。ジャン・バチストがキリスト教学校修士会(ラ・サール会)を創立する際、彼に断固たる徹底的な選択をすることを勧めたのは、そのためだった。その選択とは、全ての財産を放棄すること、そして、ランスから来たこの若い司祭がその頃自分の従者よりも下に見ていた貧しい教師たちと生活を共にすることであった。
病気にも自分自身の惨めさに対する深い自覚にもかかわらず、ニコラ・バレは、光を求めて彼のもとにやって来る全ての人と共に歩み、彼らを教え、力づけた。
多くの若い女性たちと少数の男性が、子どもの教育のために奉仕する道に志願して来た。ニコラは彼らに、「人となられたばかりでなく幼な子にまでなられた」神を観想することによって、教育者として必要な愛、忍耐、勇気、無私無欲、そして心の自由さを汲み取ることを教えた。
今やフランスのほとんどあらゆる地域に広がった「愛徳教師」の共同体に対し、ニコラは最小限の組織化をしただけで、その存続を図るいかなる財政上の保証も与えなかった。
「私たちは共同体を、知恵や人間の分別による通常の手段に依存させるべきではありません。」
神への委託と使徒の完全な自由だけが、唯一の確実な基礎なのである。
忍耐と確信(それは彼自身の霊的な旅路の重要な要素だった)をもって、彼は、道徳的・霊的に苦しむ人々に、試みから逃げるのではなく、その試みを神との出会いの場、誰からも奪い取られない平和が湧き出る場とすることを教えた。
彼は1686年5月31日にパリで死んだ。彼の死を聞いて、群衆が「ミニム会の聖人が死んだぞ!」と叫びながらマレの修道院に押し寄せた。
最後の手紙の中で、ニコラ・バレは、物質的保証を全く持たない会の将来を心配する彼の弟子たちに、希望のメッセージを残した。「どんなことが起ころうとも、いつも平和のうちにいて、神に信頼しなさい。あなたがたの信仰、希望、愛に応じて、いやそれ以上に、すべては与えられるでしょう。」