ニコラ・バレ ストーリー
|創立者 ニコラ・バレ ストーリー/(1) (2)|ニコラ・バレ神父 列福|
ニコラ・バレは、1621年10月21日にフランスのアミアンで生まれた。彼は長男で、妹が4人いた。両親は手広く商売を営んでおり、かなり裕福だったが、周囲の多くの人々は戦争や飢餓や疫病によって極度に貧しかった。
ニコラはイエズス会が経営する学校に行った。彼は非常に優秀な生徒であり、その将来は約束されているように見えた。しかし、19才の時に、彼はパウラの聖フランシスコの修道会、ミニム会(“ミニム”とは“最も小さな者”という意味)に入ることを決心した。
修練期(修道者となるための最初の修行期間)は、パリ近郊のニジョン(現在のパッシイ)で過ごした。優れた知性が認められて、彼は首都のプラス・ロワイヤル修道院に送られた。当時の知識人たちの間で名を成すことが期待されたのである。
実際、彼は23才ですでに哲学の教授であったし、司祭叙階後、1647年からは神学も教えた。6年後には、その重責に修院図書館の責任が加わった。この有名な図書館は当時の知的エリートたちの本拠地であった。
ほんの数年前、アミアンを去る時に、若いニコラが熱く望んだのは、こういう生活だったのだろうか?おそらく、そうではなかった。その上、パリの修道院は、広く名を知られた修道士の影響のもとに、学者や上流階級、宮廷人たちの集会の場となっており、ある人々の目には「ミニム」の精神から遠く掛け離れてしまっているように見えた。
彼はそういう状況の中で苦しみながら、自分に与えられた仕事に打ち込んだ。多すぎる仕事や苦行、疲れ、緊張、幻滅に心身をすり減らして、ニコラは少しずつ苦悩と疑惑の夜の闇に沈んでいく。
試練は厳しく、ニコラは何年も夜の闇の中を歩かなければならなかった。「私は大声で叫び、持っている限りの信仰、希望、愛、忍耐、勇気を奮い起こしています。天に向かって叫ぶのですが、私の叫びが聞かれたという確信は私には全くありません。」
36才の時、身体的にも心理的にも、また霊的にも燃え尽きて、彼はアミアンの修道院に送られ、そこで2年間聖堂係りをした。単純な生活を送り、貧しい人々の近くにいて、彼は徐々に力を回復して行った。少しずつ、彼の前に道が開けてきた。彼は魂の最も深い所で神に「はい」と言うことができ、自分を神のなすがままに委ねた。こうして、彼は神のうちに自分の全てを見いだすようになっていく。
神がいないように思える間にも決して神の手を離さなかったニコラは、試練の経験によって切られ、削られて、神が必要とする道具、新しい使命を受け取ることの出来る道具になっていった。彼は、自分自身の経験という井戸から、信仰の試練の中にある人々の霊的指導者としての並はずれた才能を汲み出していく。
1659年に、小教区の巡回宣教をするためにルアンに行った。それは、霊的指導を求める多くの人々を引き寄せた。彼には物事を見抜く特別な才能があったようである。彼は非常に多くの人々の深い変容と回心とに成功した。町の人々は、改善の見込みがない人について話すとき、決まって「あれはバレ神父行きだ」と言うようになった。
その宣教を指導している間、ニコラ・バレは、近所に暮らす子どもや若者の悲惨な生活と道徳的荒廃に深く心を動かされた。彼らのほとんど、特に少女達は文盲であり、洗礼を受けているにもかかわらず、キリスト教についてのほんの基礎的な教育すら受けてはいなかった。彼らは子どもの頃から働き、物乞いし、物を盗み、売春させられていた。時として「救済院」に収容されたが、それは社会の厄介者や危険人物たちを追い払うための隔離と監禁の場所に過ぎなかった。