カトリック女子修道会 幼きイエス会(ニコラ・バレ)
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NEWS

神は、この上なく偉大な方であられるが、小さい人々の方へ喜んで身をかがめられる。
ゆえに、子を予定なさる時、子が人間となるだけでなく、幼な子となることを望まれた。

(創立文書より)

 
平和の掲示板

イエスは、オリーブ山で祈られた。
「父よ、御心なら、この杯を私から取りのけてください。
しかし私の願いではなく、御心のままに行ってください。」
すると、天使が天から現れてイエスを力づけた。
イエスは苦しみ悶え、いよいよ切に祈られた。
汗が血の滴るように地面に落ちた。
しばらく祈ってから、イエスは「もうこれでよい。
時が来た。立て、行こう。」と言われた。

−ルカ22章−

主の復活祭(イースター)は、今年は、4月21日(日)です。それまで神様のお望みを熱心に生きるよう勧められています。
きょうは、ある日の神父様のお話をご紹介します。

祈り、神の御心を生きる生活を!  (ルカ16:19−31)

 今日の聖書は、ユニークな「金持ちと貧乏人ラザロ」の話です。
 貧乏人ラザロは、病いと飢えに苦しみ、この世で不自由な生活をしていたのです。「貧しい人は幸い、天国は彼らのものである。」とあるように、ラザロは、誰にも世話を受けず、孤独のうちに亡くなり、無条件で天国へ直行したのです。苦しみの中で、イエスの十字架と繋がっていたのです。
 ところが、金持ちはどうだったのでしょう。いつも紫の衣や、柔らかい麻布を着て、毎日贅沢に遊び暮らしていたのです。家の門前にいるラザロに気づいていたかもしれないのに、何の援助や施しもしなかったのです。金持ちであるということは、悪いことではありません。
 援助しない、分かち合わない、無関心、自分たちだけ良ければいいというところに問題があるのです。
 金持ちとラザロの死後のことが書かれています。どう裁かれていくのか。
 イエスの時代も、今の時代も同じで、今をどう生きるかで決まるのです。
 困っている人がいる。助けを求めている人がいれば、理屈を言わないで、言い訳をしないで助けなさい。将来の報いがあるのですよ。
 今どう生きているのか、毎日出会う人にどう接するのか。関係を持っている人にどうあるか。具体的に、いやそれ以上に心の態度が問われているのです。
 おそらく、今この時間に、死を迎えようとしている人がいます。苦しんでいる人たちがいます。泣いている人がいます。誘惑と闘っている人がいます。「自分の十字架を背負って私に従いなさい。」このイエスのお言葉を思い出してください。私たちに十字架がなければ、十字架を背負っている方々と共に歩むことです。
 「おまえは生きている間に良いものをもらった。それなのにラザロ(苦しむ人)を助けなかった。」ということがないようにしたいものです。

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