カトリック女子修道会 幼きイエス会(ニコラ・バレ)
カトリック女子修道会 幼きイエス会(ニコラ・バレ)
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神は、この上なく偉大な方であられるが、小さい人々の方へ喜んで身をかがめられる。
ゆえに、子を予定なさる時、子が人間となるだけでなく、幼な子となることを望まれた。

(創立文書より)

 
平和の掲示板



「あなた方の主なる神は、
願う前からあなた方に必要なものを、
ご存じなのだ。」

−マタイ福音 6章8節−

神さまの恵み

―神父様の説教より―

 今日の聖書は、イエスとナタナエルの出会いの話です。(ヨハネ1:43−51)
 以前、プロテスタントの神学校を卒業して牧師となったお祝い会に、私は招待を受けたことがあります。牧師に就任した彼は、以前、カトリックの神学校に通っていたのですが、プロテスタントの神学校に転校したのです。初々しい嬉しそうな彼を見て、私もうれしく思いました。彼の苦労は、大変なものでした。彼のお祝いの席で喜びの挨拶があり、それがとても心に残りました。
 彼には、いろいろな障害があり、きつい仕事を続けたこと、家族のこと、宗教上のこと、どんな障害にも頑張りぬいてきたこと、などを素直に語っていました。自分が頑張って来たので、牧師になれて喜びでいっぱいだと言っていました。私は、「この新牧師さんは本当に素晴らしい!」と、心から祝福を送ることが出来ました。
 一緒に列席していた牧師さん方ともいろいろ話すことが出来、みんな人格者ばかりでした。その中で、ある牧師さんが、新牧師について「私が頑張ったから、」とか「頑張りぬいてきた私が」という「私が」という言葉が気になると言っていました。私もそう思いました。「頑張り屋の彼は、またこれからも苦労していくでしょう。」とも考えました。その中で、神様が守ってくださっている自分を発見するでしょう。「私が」から「主が」に変わっていくでしょうね。それがとても楽しみです。
 今日の聖書で、ナタナエルとイエスとの出会いの会話が面白いです。
 フィリッポからイエスを紹介されたナタナエルは、「ナザレから、何か良い者が出るだろうか。」と言っています。イエスは、ナタナエルに「真のイスラエル人だ、彼には偽りがない。」と認めています。そして、「彼が、フィリッポから話しかけられる前にイチジクの木の前にいるのを見た。」とまで言っています。イエスは、「先にあなたを見つけたよ。」と言っているのです。
 砕いて言うと、「ナタナエルが、イエスを見つけてやって来た。」と言っても、イエス様の方が先に見ていたのです。ナタナエルは、観念して、「ラビ、あなたは、イスラエルの王、神の子です。」と答えました。イエスは、ナタナエルに「もっと偉大なことを見るであろう。」と未来のことまで言っています。
 「私が見つけた。」→「神が先に見つけられた。」と変わっていく人生でありたい。私たちも神様に見つけられて、捉えられていく日々でありたいです。

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